Vol. 25 八尾おわら流し
間が空いてしまいました。。。
そのあいだ何をしていたかと言いますと、海外へ出張に行き
帰国後すぐに一年で最もひがし茶屋街が賑わうとも言われるGWを休みなく過ごし、
その後疲れも出たのか少しダウン。
ようやく落ち着いて来ました。
さて、すでに一ヶ月が過ぎようとしますが、4月17日に、ここひがし茶屋街において
『浅野川園遊会 八尾おわら流し』が行われました。
初めて拝見したのですが、江戸時代にタイムスリップしたかの様な、なんとも
古(いにしえ)を感じる行事で、素晴らしいの一言に尽きました。
今回は、その模様を簡単にご紹介したいと思います。
まずは、おわら流しが始まる前のひがし茶屋街のメインストリートの様子。


広見からスタートした様子。

雅やかな三味線と胡弓の音色とともに、一団が近づいてきました。
気分も盛り上がってきます。


こちらからは顔が見えませんが、それがまたなんとも良いではないですか!

薄暗いひがし茶屋街を美しい踊りが通り抜けて行きます。
着物も素敵で、なんだか現代とは思えない時間が流れます

三味線と胡弓の奏者達。

何唄というのか分かりませんが、これがまた渋い唄声が通りに響き渡り
時折、観衆からの歓声と拍手が送られます。

通りの突当りまだ行った一行が、Uターンして戻って来ました。

一行を取り巻く多くの観衆が一緒に去っていき
その後には元のひがし茶屋街の静けさが残されていきます。

おまけがてら、懐華楼さんの二階から観覧している方がいなくなった隙に撮った一枚。
さすが懐華楼さん、良い感じです。

今回、始めて拝見した“おわら踊り”は、素晴らしく、感動すらしました。
古都金沢、益々好きになりました。
尚、当行事の詳細は、こちらの、金沢市観光協会公式サイトをご覧下さい。
ちなみに、下記に抜粋させて頂きます。
80余年の時を経て越中八尾おわら踊りの華、「女踊り」がひがしの茶屋街へ里帰りします。哀愁溢れる胡弓の音色にあわせ、いにしえより踊り継がれる「越中八尾おわら踊り」。中でも「女踊り(四季の踊り)」のルーツは金沢・ひがしの茶屋にあるという。80余年前、四高(現金沢大学)医学生だった八尾出身の川崎順二氏は、度々ひがしの茶屋を訪れ、芸妓達の艶やかな舞いとお酒に酔いしれていた。ひがしの踊りの流派は若柳流であることから、昭和4年、川崎氏の伝で、若柳吉三郎氏を紹介。若柳氏は、40日間にわたる八尾滞在で「女踊り(四季の踊り)」の振付を完成させたのである。また、ひがしの芸妓も金沢から駆け付け、八尾の人々に熱心に振付を指導したという。女踊りのたおやかで上品な身のこなしは、まさに、ひがしの茶屋を源流とするものなのです。(金沢市観光協会公式サイトより)
www.enishira.com
そのあいだ何をしていたかと言いますと、海外へ出張に行き
帰国後すぐに一年で最もひがし茶屋街が賑わうとも言われるGWを休みなく過ごし、
その後疲れも出たのか少しダウン。
ようやく落ち着いて来ました。
さて、すでに一ヶ月が過ぎようとしますが、4月17日に、ここひがし茶屋街において
『浅野川園遊会 八尾おわら流し』が行われました。
初めて拝見したのですが、江戸時代にタイムスリップしたかの様な、なんとも
古(いにしえ)を感じる行事で、素晴らしいの一言に尽きました。
今回は、その模様を簡単にご紹介したいと思います。
まずは、おわら流しが始まる前のひがし茶屋街のメインストリートの様子。


広見からスタートした様子。

雅やかな三味線と胡弓の音色とともに、一団が近づいてきました。
気分も盛り上がってきます。


こちらからは顔が見えませんが、それがまたなんとも良いではないですか!

薄暗いひがし茶屋街を美しい踊りが通り抜けて行きます。
着物も素敵で、なんだか現代とは思えない時間が流れます

三味線と胡弓の奏者達。

何唄というのか分かりませんが、これがまた渋い唄声が通りに響き渡り
時折、観衆からの歓声と拍手が送られます。

通りの突当りまだ行った一行が、Uターンして戻って来ました。

一行を取り巻く多くの観衆が一緒に去っていき
その後には元のひがし茶屋街の静けさが残されていきます。

おまけがてら、懐華楼さんの二階から観覧している方がいなくなった隙に撮った一枚。
さすが懐華楼さん、良い感じです。

今回、始めて拝見した“おわら踊り”は、素晴らしく、感動すらしました。
古都金沢、益々好きになりました。
尚、当行事の詳細は、こちらの、金沢市観光協会公式サイトをご覧下さい。
ちなみに、下記に抜粋させて頂きます。
80余年の時を経て越中八尾おわら踊りの華、「女踊り」がひがしの茶屋街へ里帰りします。哀愁溢れる胡弓の音色にあわせ、いにしえより踊り継がれる「越中八尾おわら踊り」。中でも「女踊り(四季の踊り)」のルーツは金沢・ひがしの茶屋にあるという。80余年前、四高(現金沢大学)医学生だった八尾出身の川崎順二氏は、度々ひがしの茶屋を訪れ、芸妓達の艶やかな舞いとお酒に酔いしれていた。ひがしの踊りの流派は若柳流であることから、昭和4年、川崎氏の伝で、若柳吉三郎氏を紹介。若柳氏は、40日間にわたる八尾滞在で「女踊り(四季の踊り)」の振付を完成させたのである。また、ひがしの芸妓も金沢から駆け付け、八尾の人々に熱心に振付を指導したという。女踊りのたおやかで上品な身のこなしは、まさに、ひがしの茶屋を源流とするものなのです。(金沢市観光協会公式サイトより)
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